【週1特別連載】成川豊彦えらやっちゃ人生

成川豊彦えらやっちゃ人生 3.戦争生き証人

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早稲田経営学院・“Wセミナー”の総帥として34年もの間君臨し、年商120億までにした男は、徳島のデケンボ(勉強ができない子ども)だった。人生の道を切り開くことができたのは、思わず笑ってしまうほどの、えげつない「プラス思考」と「行動力」によるものである。

3.戦争生き証人
戦時中は、適正年齢の男性に、大日本帝国軍から次々と召集令状が舞い込んだ。役場の兵事係が敬礼とともに召集令状、いわゆる“赤紙”を持参し、「おめでとうございます!」と言いながら玄関に入ってくる。その途端、本人や家族は、言いようのない不安に襲われたものだ。なにせ、生きて帰って来られるか、分からないのだから。死と隣り合わせなのは、一般市民も同じだ。戦火の中を逃げ惑う母子が、ひとつの防空壕にたどり着き、懇願するも満杯を理由にガンとして断られてしまう。仕方なく、別の防空壕に向かって走り始めた直後、先の防空壕は一瞬で爆撃されてしまった。また、主に都心部の子ども達は、唯一頼るべき親と離ればなれになり、親戚・知人などを頼って田舎に疎開するのだった。

豊彦も、里子先から2度疎開している。1度目は、郡部の知人宅だったが、まだ2~3歳のことである。右往左往していることは認識できたが、戦争の実感はなかった。2度目は、終戦の2~3ヶ月前で、生家から5~6㎞離れた知人宅だった。彼も4歳、戦争を、充分実感できる年齢になっていた。昼過ぎのことである。空襲警報とともに、B29爆撃機から、「ヒューン!ヒューン!」と無数の焼夷弾が、疎開先のボロボロな家屋に、稲妻のごとく落下。すさまじい揺れとともに、窓ガラスが割れて四方八方に飛び散り、その破片が豊彦の頭を直撃し、血みどろになり、気を失ってしまった。「豊彦!死んだらあかん!」青くなった18歳離れた長兄が、救急施設である富田小学校に、運んでくれて、九死に一生を得たのだった。その後、戦局はいよいよ絶望的なものとなり、日本は無条件降伏。ともかく戦争は終結した。

豊彦は現在76歳、幼くして戦争の激しさ・悲惨さを知る、生き証人と言える。しかし、あまり当時の苦労話を、語ることはない。豊彦のすごいところは、むしろ、笑い話にしてしまうところだ。「僕の頭のてっぺんは、B29の焼夷弾にやられて、一部、髪の毛がないだよ~。ユナイテッド・ステイツに損害賠償したいのよ!ガハハ!」と、笑いながら息巻くのだった。これを、お笑いととらえるか、プラス思考ととらえるか?並みの神経ではないことだけは、事実だ。

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