早稲田経営学院・“Wセミナー”の総帥として34年もの間君臨し、年商120億までにした男は、徳島のデケンボ(勉強ができない子ども)だった。人生の道を切り開くことができたのは、思わず笑ってしまうほどの、えげつない「プラス思考」と「行動力」によるものである。
15.大学生時代―情けは人の為ならず
60年安保は、日本史上空前規模の反政府運動だった。日米安全保障条約を巡る政府の強行採決に反対する、労働者やインテリ層、学生、左翼勢力などが、全国のいたるところで抗議の大合唱でデモ行進。とりわけ、全学連など若者たちは、青春のエネルギーの全てをぶつけているかのようだった。「岸内閣を倒せ!」とデモ隊が国会に突入して機動隊と衝突し、傷害、放火、器物損壊などを伴う大規模暴動暴となった。この頃は、「デモ」「全学連」「機動隊」なるワードが、頻繁に巷に流れ、日本中に影響を及ぼしていた。小さな子どもまでが、むろん意味は分かってはいないが、3~4人でデモ隊を組んで「アンポ、ハンタイ!アンポ、ハンタイ!」と、“デモごっこ”遊びをしたものだ。時代は、熱かった。
豊彦は、ようやく早稲田の政経に入学することができたものの、授業にはほとんど出なかった。1年目は、安保闘争で全校がほぼ休講状態だったため。2年目になるとキャンパスは落ち着きを取り戻し、ポツリポツリと授業が再開されたが、出席する気になるほど面白い講義がなかった。そして、実家の商売不振で送金がなく、アルバイトに専念しなければならなかった。印刷工場の機械掃除、NHKのメッセンジャー・ボーイ、歌舞伎座の大道具係、家庭教師といろいろやった。特に実入りが良かったのは、池袋のキャバレーでホール係のボーイの時だ。30代後半で頑張っている、シングルの子持ちのホステスさんがいた。キャバレーでは、見た目と若さが勝負だが、地味でおとなしい彼女は全くご指名がなくいつもしょんぼりしていた。そこで彼は、山奥から出てきたような場慣れしていない客や、金持ちそうだが横柄でホステスからモテない客を見つけると、「ゆっくりと楽しみたいお客さんにはピッタリですよ」と、意味ありげな目線で耳打ちし、彼女への指名を勝ち取ることに励んだ。女性がひとりで子どもを育てるのは、男以上の頑張りが必要。急にご指名が増えて大喜びの彼女は、「また、お願いしますね」と、お客を回すたびに、内緒でチップをくれた。そんな様子を見ていた“さえない組”のホステスさん4人が、私も私もと、彼に「指名の請負」を頼んでくるようになった。少々困ったが、“負け組”の女性から頼まれたらやらないわけにはいかない。豊彦は、新入りのボーイたち3人に声をかけ、趣旨を説明してチームを組んだ。そして、あらん限りの知恵をしぼって、指名客を獲得して引き渡すプランを練り、新規客の開拓も積極的に行った。どうも、彼は、勉強以外で知恵をしぼる癖があるらしい。その結果、その4人のホステスさんたちも、急激に売れっ子になって大喜び。「成ちゃん、サンキュ」、「成ちゃん、さすが」とおだてられ、チップが降って湧いてきた。チームのメンバーもチップが増えたことで豊彦に感謝し、よく食事をおごってくれた。そうこうしている内に、幹部からは、売上げに貢献しているように見えたのだろう、豊彦を、若手ボーイのチーフに昇格させる話が来た。しかし、より実入りのいい家庭教師のバイトが来たので、断った。
数々のアルバイトは、貧乏学生の身には、金銭的には本当にありがたかった。同時に、「情けは人の為ならず」ということを学ぶことができたのだった。
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