24.スクール東京時代─(2)
豊彦が「スクール東京」の最高名誉顧問に就任してから、少し、時は流れた。
「法科大学院」制度が開始してから約10年、司法試験業界では、また、変化が起こり始めた。それは、ロー・スクール離れが始まり、「予備試験」を受験する受験生が増加傾向にあることである。
「スクール東京」に通う受験生も、「予備試験」組が目立つようになった。
そして、2017年(平成29年)の秋、豊彦にとって、とてもうれしい知らせが、2つ、届いた。
1つ目は、「予備試験」から指導してきた、現役大学生のA君が、「予備試験」を20位内で「司法試験」も上位で合格。彼は、大学の陸上部に所属し、陸上選手をしながら、頑張った。淡々と、言葉少なく、彼から、報告を受けた時、豊彦は、我を忘れてうれしさのあまり、小躍りした。気持ちの熱さは、76歳(現在77歳)になっても健在である。
2つ目は、2年ほど前から、指導してきた、40歳のBさんが、「予備試験」(短答試験)を何と全国1位で合格。半年後の論文試験も難なく上位突破。彼は、会社勤めをしながら、勉強をしている。勉強に費やせる時間は、平均2~3時間だという。その中での「全国1位」はすごいことである。
A君、Bさんは、豊彦、そして「スクール東京」の指導をきっちりこなしてくれた。「本物」の受験生と出会えたことを彼は、心から喜んだ。
さて、豊彦は、このほど77歳、喜寿を迎えた。最近、彼は、鏡に映る自分の顔(姿)を見て、「若く」なってきていると感じるのだ。頭の冴え、物事の判断、動作は、「スクール東京」の若いスタッフに引けを取らない。
いつも、「一瞬一命」をモットーに、進歩していくことを心がけている彼が、最近、力を入れていることは、ITを通じて、多くの人たちとの交流を図っていくことである。
成川日記ブログ、司法試験・予備試験ブログ、医学部・小論文合格ブログ、ツイッター、フェイスブック、さらにメルマガ、ランディングページなどにトライしている。
「民間教育」を始めて40余年、教育を通して、「社会貢献」に繋げていきたいと思う気持ちは、今も昔も変わらない。それどころか、その思いは、ITに乗って、日本だけではなく、諸外国まで・・・“面白いかまし”を伝えようとしている。
遠い昔。現役での大学受験にすべて失敗し、東京の予備校からは、1ヶ月もしないうちに逃げ帰った。その後、故郷で10か月の浪人生活。敗者復活をかけて2度目の上京をするため、列車で徳島駅から高松駅に向かった。途中、四国三郎・吉野川を見て、19歳の彼は次の2つを、心に刻みこんだ。
「絶対に合格する!」
「社会貢献して、1流の人間になる!」
そして、この2つの目標を達成するためなら、「人の道に外れること以外は、何でもやろう。恥ずかしいなんて思わない!」と覚悟を決めた。10代終わりの豊彦は、眼下に広がる郷里の大河に‘‘恥ずかしさ‘‘や‘‘ちっぽけさ‘‘を捨てて、憧れであり畏れでもあった東京へ向かった。
あれから、半世紀以上の時間が流れた。
しかし、生きる気持ちは‘‘19歳の時‘‘と何ひとつ変わっていない。
今から20数年後の2041年1月27日(日)、午後6時頃、自分の人生が尽きる時まで、豊彦は「本物を探す旅」を続けていく。
完
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