早稲田経営学院・“Wセミナー”の総帥として34年もの間君臨し、年商120億までにした男は、徳島のデケンボ(勉強ができない子ども)だった。人生の道を切り開くことができたのは、思わず笑ってしまうほどの、えげつない「プラス思考」と「行動力」によるものである。
19.公認会計士受験時代─挑戦!
昭和44年は、テレビアニメ「サザエさん」が放送となった年である。彼女の家族は、平凡な3世代のサラリーマン一家である。日常のささいな出来事の裏面を、毎日、ユーモラスに4コマ漫画に仕上げ、動画化されたのだ。作者の長谷川町子さんは、日本初の女性プロ漫画家。特に優れているのは、「毎日、連載する真面目さ」「家族とのかけ合いの面白いこと」「こんな見方があるのかというアイデア」などだ。漫画とはいえ、いや、漫画であるからこそなのか、本作品は、戦後、高度成長期の活気ある日本社会の中にいると錯覚されられ、今だ、大衆読者を飽きさせることがない。
その中の一人であった豊彦は、新聞記者となって5年目。そろそろ、「一生、この仕事でいいのか」と悩むようになる。「事件を通じてではなく(間接体験ではなく)、人の日常と直接関わりたい(直接体験をしたい)」気持ちが強くなっていた。この間、議員さん、役人さんへのインタビュー、学校、塾などの取材で毎日を忙殺されていた。そんな中で、「このままではいけない」と思う気持ちが段々、強くなる。早稲田大学(政治経済学部)時代から気になっていた「政治家」になるか、それとも「教育者」になるか、彼は悩みに悩み、二者択一をする。そして、迷いに迷った結果、教育の道を選択した。「教育者」になる手段として、国家資格を取得することを、自らの目標と定めた。志望する資格を「司法試験」にするか、「公認会計士試験」にするか、再び二者択一の前にさらされたが、あっさり「公認会計士試験」を受験することにした。それは、試験要項を見て決めたのだ。「公認会計士試験」は、簿記、原価計算、経営学、経済学、商法などを学べる。一方、弁護士を目指す「司法試験」は、憲法、民法など、法学に偏る。当時、国家試験で一番の難関は「(旧)司法試験」、二番目が「公認会計士試験」といわれていた。これから起業する「民間教育」に役立つ科目が多く、必要不可欠な金銭の動きを学べるのは、「公認会計士試験」だと思ったのだ。これらの理由から、「公認会計士」を目指すことに。28歳で、新聞社を辞めた彼は、受験勉強をスタートさせる。退路を断って、どんな言い訳もできないように自分を追い込むため、躊躇することなく、会社を退職した。しかし、アッという間に金欠になってしまう。その時は、すでに結婚していた。共稼ぎをしていた妻の給与が生活費の基本であった。いうなれば、「ヒモ」の状態だ。これでは、性根が腐ってしまうので、短時間で稼げるアルバイトをできるだけこなすようにした。知り合いの中小企業の宣伝・広告文の作成や自転車で牛乳配達などをした。重い牛乳ビンを、毎朝4時から7時くらいまで一軒家から、マンションの各戸へ配る。「オッサン、トロトロすんな!」と‘‘先輩‘‘にあたる20歳前後の大学生に罵倒されることもたびたび。冬の雨の日、雪の日の作業は、手がかじかんで、痛さも感じない。すべって転んだり、止めておいた自転車が倒れて、荷台に積んである牛乳ビンが割れてパーになることも。負けん気の強い彼も、そんな時は、「今、なぜ、自分は28歳にもなって、こんなことをしているんだろう」と弱気になって、泣きたくなる。しかし、遅配でお客さんに迷惑をかけるわけにはいかない。「泣いているヒマはないぞ」と自らに言い聞かせ、「こんなことで負けてたまるか」と、自転車を漕ぎ続けた。この仕事は、2年ほど続けた。これは、(1)生活のため(2)子どもの時からの自転車好き(3)早起きの習慣がつく(4)適度な運動になる(5)頭をカラッポにして肉体労働に励むことは、ストレス解消にもってこい、など受験勉強そのものへのメリットも大きかったからだ。一日のスタートを「仕事」から始めるという姿勢は、働き者であった両親から受け継いだ、一面でもある。
豊彦は、10歳も年下の大学生にバカにされながら、牛乳配達のアルバイトに励んだ。ここでも彼は、手を抜かなかった。その後、公認会計士試験に合格し、最初は見向きもしなかった「司法試験」の「憲法」を教える立場になっている。人生というのは、不思議なものだ。このことから、「今(現在)のことだけで、人生を決めてはいけない」「いつも、社会に役立つことを考える」ことが、現在、76歳になった彼の“教訓”だ。
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