早稲田経営学院・“Wセミナー”の総帥として34年もの間君臨し、年商120億までにした男は、徳島のデケンボ(勉強ができない子ども)だった。人生の道を切り開くことができたのは、思わず笑ってしまうほどの、えげつない「プラス思考」と「行動力」によるものである。
10. 中学生時代―実利主義
1954年(昭和29年)、“世界の恋人”マリリン・モンローが来日。ニューヨーク・ヤンキース伝説のプレーヤー ジョー・ディマジオとの新婚旅行だった。行くところ行くところ、この世紀の大スターを一目見ようと、日本中が大騒ぎだった。モンローは、日本に到着した初日に胃痙攣を起こしてしまい、関係者のつてで、「指圧の心母心」でおなじみの指圧師・浪越徳治郎が治療にあたった。彼はその時のことをインタビューされる度に、「驚くほど綺麗で、チャーミングな方でしたよ。治療はいつもより3倍くらい時間をかけてしまいました」とニコニコながら話した。豊彦少年は、映画に登場するモンローを見て、こんなに魅力的な人は見たことがない、自分も指圧師になりたいと思ったものだ。
中学2年のある日、教室に入るとなにやら騒がしい。何事かと黒板に目をやると、相合傘のマークの下に、左に豊彦右にクラスの女子A子の名前が書いてある。回りからは、からかいコールが飛び交い、豊彦は耳たぶまで真っ赤になった。自分がもてるはずもないし、誰の仕業だ?ひょっとしてA子が自分で?と思いながら、平静を装って自分の席に着いたが、顔はまだ真っ赤なままである。今までは、もっぱら散策と食い気の毎日だったが、このことがあってから、A子のことを好きというほどではなかったが、変に意識するようになった。この初恋事件は、回りに祭り上げられたものだった。また、家族間ではこんな事があった。3~4ヶ月に1度位だったろうか、母親がふくれっ面で、いきなり豊彦の手を引っ張って、「いくよ!」と言いながら、眉山の中腹にある料理屋へ連れて行かれた。店に着くなり、母は何種類もの高い料理を注文したが、機嫌の悪いまま箸に手をつける様子がない。豊彦は、何の事だか分からないが、今日は豪勢だと大喜びで食べまくるのだった。どうも、母親のヒステリーの原因は、父親の浮気だったらしい。
76歳になった成川は言う。人並みに、初恋や恋愛もあるにはあったが、そういうものは一時の錯覚。恋愛を否定しているわけではないが、恋愛もプラスに働かせるべきで、溺れるのはナンセンスと言いたい。父親の浮気をどう思うか?全く、気にしない。両親・家族の不和など関係ない。おいしい料理を、たらふく食べられたのだからそれでよい。能書きはどうでもよくて、「利」があれば「結果オーライ!」とする人生よ!「恋愛なんてカンタン!試験なんてカンタン!落ちても死ぬわけじゃないのだから、また、来年再チャレンジすればいいんよ。人生なんて簡単!どんとこいなんよ!」とうそぶく。
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