早稲田経営学院・“Wセミナー”の総帥として34年もの間君臨し、年商120億までにした男は、徳島のデケンボ(勉強ができない子ども)だった。人生の道を切り開くことができたのは、思わず笑ってしまうほどの、えげつない「プラス思考」と「行動力」によるものである。
11. 中学生時代―思考型勉強方法の発見
成川人形店の子ども達は、ほとんどが、品行方正で学業も優等生。そのことは、近所でも評判で、両親も鼻高々だったに違いない。豊彦だけが、劣等生のやんちゃ坊主。彼は、そんなことはどこ吹く風と、勉強なんか放ったらかしで、市街を巡回したりして、自由な毎日を送っていた。
豊彦は、いつも夏休みは遊びほうけて、終盤になると手を付けてない宿題の対策でてんてこまいだった。今年の宿題は、大きらいな水彩画。どんな対策でいくか?しばし考える。そうだ、絵のうまい姉から古い絵を借りればいい。借りたはいいが、2~3年押入れに眠っていたのでホコリがすごい。普段、部屋の掃除などしたことがない豊彦だったが、借りた絵を、細心の注意を払って、きれいに磨き上げた。次は、署名の「偽造」だ。“成川”はそのままにし、姉の名前を丁寧にナイフでこそげ取り、自分の名前を書く。姉の名は“八千代”といって3文字、“豊彦”は2文字のため、これには苦労した。署名の部分だけ新しい絵具なので、その部分だけ浮くことのないよう、紙やすりでこすって、古めかしく仕上げるのだった。苦労の末の「作品」は、もちろんセーフ。しかし、神様は見ているのか、2週間後には担任にバレてしまい、こっぴどく叱られた。しかし、再提出を求められることはなく、水彩画は描かずに済んだので、一応の意義はあった。豊彦は、こんな、ごまかしごまかしの日々を送っていたのだった。そんな彼も、中学3年になると、親に勧められ、徳島県内1番の名門進学校・県立城南高校(旧制徳島中学)を受験することになった。万年デケンボの自分に、そのような高校を受験させるなんて、うちの親はどうかしている。今から受験勉強をしても、受かるはずがない。そこで、豊彦は、いつものようにしばし考える。すでに、城南高校に合格していた兄の試験問題を借りよう!しかし、1年分の試験問題を暗記したところで、受かるわけがない。そこで、豊彦は、考えた。問題や公式を暗記するのではなく、出題された趣旨を徹底的に分析する。そして、その思考プロセスを確立し、どのような問題にもあてはめられるようにしたのだ。その結果、小中学校時代は、常に下から3~4番の成績だったにもかかわらず、徳島県内1番の進学校に無事合格したのだった。
豊彦は、後年、「早稲田経営学院・“Wセミナー”」及び「スクール東京」という合格塾を設立することになるのだが、教育方針は一貫していた。それは、暗記・詰め込み方式ではなく、「思考型」だった。それは、まさに、この時に開発されたものだった。勉強のできない人間が、短期間で合格したその方法は、後に、日本中で多数の合格者を排出することになった。
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